「雛」  今年は桜の開花が早いらしい。四月一日には、もう桜が散っていた。  「おう、萩原。今日から新人の教育よろしくな。大切な雛たちだから、しっかり教育し ろよ」  出社して席に着くまもなく、藤次郎の上司の係長は言った。  「はい、分かってますよ」 と、藤次郎も応じた。  「あと、例の装置の仕様書もな、装置に組み込むプログラムはよその会社に発注するか ら、きちんと仕上げときなよ」  「はい」  藤次郎の居る会社に新入社員が入ってきた。リクルートスーツに身を包んだ新入社員た ちは、まだ初々しい。藤次郎は今年の新入社員教育のまとめ役をやらされていた。教育は、 事務、ハードウェア、ソフトウエアの部門からそれぞれ、講師が選ばれ、まず集合教育の 講義を行う。続いてグループ分けをして課題を与えて研修をさせ、そうして各部門に配属 されて、それぞれの上司や先輩について専門的な教育を行う。藤次郎も教壇に立つが、各 講師との連絡やスケジュール立てなどの雑用が忙しい。 加えて、今藤次郎が設計している装置の仕様書の納期が近いので、大変な忙しさである。  「こら、寝るな。そっちも」  教壇の前列で居眠りしている新入社員を藤次郎は教材の紙束を丸めてコンコンと叩いた。  「まーーだ、学生気分が抜けないのが多いな。よく聞けよ、もう君達は社会人になって 給料を貰う身分だ。その給料はどこから出ていると思う?俺たちの作った製品の売り上げ からだぞ」 と、言って藤次郎はジロリと居並ぶ新入社員を見ると。全員恐縮した。  「君達はまだ稼いでいない。ただで給料をあげるほど、会社は裕福ではない。しかし、 会社の存続のためには、絶えず人を入れていかなければならない。そこで明日の会社の売 り上げに貢献して欲しいから、こういった教育をして、君たちに仕事のやり方を教えてい るんじゃないか!解った?」  そう一喝してから、藤次郎は講義を続けた。  藤次郎は自分の持ち時間の講義を終えると、別の講師にバトンタッチして、自分の作業 に取りかかった。  「萩原さん、今年の新人はやりづらいです」  講師として教壇に立った藤次郎の後輩の佐竹が席に帰るなり、ぼやいていた。いや、佐 竹だけではない。他の教育担当者もみな口々に同じ事を言っていた。原因は二人の問題新 入社員だった。  基本的な知識や能力は低いけれど、明るくて素直に質問して吸収しようと努力する上杉。 また、初めから基本的な知識や能力が高いため、周りを見下して反発している毛利。この 両者から質問攻めにあい、各講師は辟易してしまった。  「この二人、どうにかしないといけないかなぁ…」  基本的な座学を終えて、集合教育に移る段階で、藤次郎は一計を案じた。各グループの スキルを平均化する意味もあり、藤次郎は上杉と毛利を同じグループに入れた。  そうして、各グループに課題を与えて数日放っておいた。  「…なんか、こうやって見ていると、ある種のシミュレーションゲームみたいだなぁ」 と、各グループの動きを眺めながら藤次郎は思った。  最初、上杉と毛利の居るグループは、全員反目しあっていたが、上杉がまとめ役となり、 盛り立てたので、毛利以外は上杉と作業を始めた。藤次郎は、口を出したかったが、じっ と我慢して様子を観る事にした。  すると数日後、妙なことが起こった。それは、毛利に対して上杉があまりにしつこく質 問をするので、毛利が根負けし、上杉が解らないことを毛利が補足して、作業に加わり始 めた。依然、毛利は上杉以外とは必要最低限の会話しかしなかったが、上杉を通じて協調 し始めた。  「このまま、いくかな?」 と、藤次郎は相変わらず黙って観ていた。  休憩時間でも、上杉はしつこく毛利と対話をしていた。その甲斐あってか、毛利は上杉 にだけは心を開くようになった。  最初の頃は、毛利と上杉の居るグループが与えられた課題をこなすのに一番時間がかか っていたが、毛利が上杉を補いだしてから、みるみるうちに課題をこなす速度が速くなっ た。  結果、上杉と毛利のグループは、与えられた全課題をこなした。  そうして、一ヵ月後、集合教育が終わり、新人たちがそれぞれの部門に散っていった。  藤次郎の本来の作業である装置の設計仕様書の作成もなんとかこなせ、その結果、藤次 郎が驚く事態が起こったが、それは別の話である。  藤次郎は教育責任者として新入社員の日誌や講師の日誌をまとめていた。  「大分、毛利は他の人と話すようになったが、もう少し協調性が欲しいなぁ…上杉は、 やっとこさ、平均のレベルになったなぁ。二人とも配属先で迷惑かけなきゃいいのだが…」  報告書の最後に、二人のことを書こうか書くまいかと悩んで、結局簡単ながら、  『新入社員の上杉、毛利の二人はベテランの先輩の指揮の下でOJTを行う必要あり』 と、書き加えた。  その日の午後、藤次郎は係長とともに課長に会議室に呼び出され、  「うちのグループにも新人が配属された。萩原君にも新人の面倒を見てもらう」  「覚悟しています」 と、藤次郎は課長に嫌味を言った。課長が会議室の中から新入社員に会議室に入ってくる ように言った。  「萩原君は新入社員研修の講師をやっていたから知ってると思うが、新入社員の上杉君 と毛利君だ」  「萩原さん、よろしくお願いします」  「よろしくお願いします」  紹介された上杉と毛利は藤次郎に挨拶した。  「お前たちか…」  藤次郎は困惑した表情をした。藤次郎の下に配属されたのは、上杉と毛利…よりによっ て、新入社員研修を通じてある意味、両極端のが二人も配属された。  人事課の資料によると、藤次郎が感じていた通り、二人の能力は悪いと優秀の両極端で、 性格もまた両極端であった。  その後、会議室で藤次郎、係長、課長は人事課から貰った書類を元に、二人に色々質問 などをした。  「じゃぁ、萩原君。あとは頼むよ」 と言って、課長は先に会議室を出て行ってしまった。藤次郎は係長と現在のこのグループ の作業の位置づけや業務の内容等を話し、会議室を出てグループの席に行き、二人の机を 決めて席に着かせ、とりあえず、今行っている作業の資料を見てもらうことにした。  藤次郎は、正直困ってしまった…それは、この二人どういうふうに使うかである。二人 をコンビで使うか、バラバラにして使うか…藤次郎はもとより、藤次郎から報告を受けて いた係長,課長も困ってしまった。  人事課に相談したら、「この二人を一番観ていたのが萩原君だから、彼女らのことを一 番良く知っていると思われるので」と言われて、結局話は藤次郎に戻ってしまった。それ でも、人材コンサルタントの勉強をしている人事課の課長からヒントを貰い、毛利には、 作業の目的を説明し、目標を掲げて作業を行わせ、上杉には、藤次郎から細かい手順を説 明し、指示を与えて解らないところは、藤次郎がサポートして作業をさせた。  やがて、数ヶ月が過ぎた。藤次郎の上司の係長は転勤し、代わりに別の上司がやってき た。その上司とは、藤次郎の学生時代の知り合いの女性だった。  彼女は着任からグループ各員の仕事振りを黙って観ていたが、しばらくして、  「萩原君。あまり上杉さんに細かい事言わなくていいわよ。このままだと、指示待ち人 間になっちゃうわよ」 と、注意された。  確かに、元々能力の高い毛利は飲み込みが早く、既に一人で作業をこなしており、逆に 上杉は、解らないことはいつも藤次郎に聞いているので、「萩原の小姓」と呼ばれるくら いに、藤次郎にべったりとついて回っていた。それは確かに困るし、彼女のためにもなら ないので、上司と相談して、「独力でこなすように」と言って上杉に一つの作業を指示し た。最初、困惑していた上杉であったが、今までの作業を記録したノートや書類をかき集 め、整理を始めた。  そのため出だしは遅かったが、何でもすぐに聞くだけじゃなく、あらかじめ調査して自 分の意見をまとめてから質問をするようになった。  結果、上杉は与えられた作業を少し遅れたが独力でこなした。  「ほら…彼女(上杉)は、やり方のコツさえつかめば一人でこなせるのよ。彼女はコツ のつかみ方が判らないから、能力が低く見られるのよ」 と言って、上杉の作成した書類を見ながら、自分のデスクの前に居る藤次郎に話しかけて、 上司は微笑みながらコーヒーを口にした。  「いつまでも雛鳥と思ってちゃダメ。独り立ちさせないと…失敗体験と、成功体験を重 ねながら人は成長していくものよ」  「はい…」 藤次郎正秀